日本橋リバーウォーク 日本橋リバーウォーク

公式SNS

ABOUT

日本橋リバーウォークについて

これから始まる、新しい日本橋川沿いの街づくりとは。
「川」と「青空」中心のワクワクする未来が、ここから広がります。

本パースはイメージであり、実際の計画とは異なります。

PROJECTS

進行中のプロジェクト

水辺とともに進化してゆく各街区の特色や役割を、それぞれご紹介します。

ARCHIVES

日本橋・八重洲のむかし・いま

江戸の賑わいからはじまり、4世紀以上にわたる日本橋・八重洲の歴史を、ビジュアルで振り返ります。

  • 画像で見る日本橋・八重洲のむかし・いま11

1603年、江戸幕府の開府と同時に完成した「日本橋」。翌1604年に五街道の起点として定められると、江戸の中心地として、さらには全国へと通じる道路の起点として、大いに繁栄した。
(画像出典:「東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景」 ※東京富士美術館 蔵)

120万人とも言われる江戸の人口を支えるため、海と通じる水路が整備されると、日本橋は全国から職人や商人が集う街に。
経済・商業・金融・物流・娯楽が一気に花開く。
(画像出典:「熈代勝覧」 ※ベルリン国立アジア美術館 蔵)

1673年に創業された「三井越後屋呉服店」。江戸時代には「八木長本店」「山本海苔店」「千疋屋総本店」「日本橋木屋」「にんべん」といった今に残る老舗店が、次々とこの街に生まれた。
(画像出典:「駿河町越後屋呉服店大浮絵」奥村政信 ※東京都江戸東京博物館 蔵)

1904年には、三越呉服店の「デパートメントストア宣言」により、日本初の百貨店「三越日本橋本店」が誕生。写真は大正3年(1914年)に完成した新店舗。
(提供:株式会社三越伊勢丹ホールディングス)

1914年、現在の八重洲1丁目2(旧・日本橋呉服町)で創業された「港屋絵草紙店」。大正ロマンを代表する画家・竹久夢二が営んでおり、夢二自身がデザインした版画や千代紙、封筒等の雑貨を販売。二階にはギャラリーも併設され、若い作家たちの社交の場としても賑わっていた。
(画像出典:「港屋絵草紙店」竹久夢二 ※千葉市美術館 蔵)

1923年には関東大震災が発生。さらに1945年には東京大空襲により、日本橋・八重洲の街も甚大な被害を受けた。
(画像出典:「大正震災志写真帖」 ※国立国会図書館所 蔵)

東京オリンピックを控えた1963年には、首都高速都心環状線が開通。準備期間が短かったこともあり、用地取得がスムーズな日本橋川や道路の上空に建設された。
(提供:首都高速道路株式会社)​

首都高完成により、2025年現在もなお残る力強い景色が誕生。首都高の高架橋と、名橋・日本橋が交わる姿は、高度成長期の日本の活力や豊かさを象徴する風景でもあった。
(提供:首都高速道路株式会社)

2000年代には都心部での大規模開発が盛んに。日本橋・八重洲エリアにおいても都市機能の更新が進むとともに、地域一体となった賑わいづくりが活発化。イノベーションを重んじる歴史的な土壌は、新たな価値創造の連鎖をいまも支えている。

2010年代に入ると、防災・安全・環境意識の高まりや、景観改善といったさまざまな観点から、まちづくりに関する議論が活発化。2019年には、神田橋JCT~江戸橋JCT間の地下化事業が決定。2024年に準備工が概ね完了し、2025年から本体工事に着手している。
(詳細は首都高HP:https://www.shutoko.jp/ss/nihonbashi-tikaka/)​
(提供:首都高速道路株式会社)

このページをシェアする